最近、考えてたこと。
周りに誰も信じてくれる人がいない時、どうするか、っていう話。
何かを始めようとすると、決まって現れる、冷ややかな視線とか、疑いの言葉とか。…まあ、時には笑われたりもする。あれって、結構こたえる。すごく孤独な感じ。自分だけが、何か途方もない崖っぷちに立たされてるような。
でもね、思うんだ。自分を信じる力って、外からもらうものじゃない。あれは、内側で育てるもの。疑いを向けられるたびに、それでも一歩前に進むたびに、ちょっとずつ強くなっていくものなんだと思う。
なぜ誰も信じてくれないのか?
これ、別に彼らがあなたの失敗を願ってるわけじゃないことも多い。正直言って。
一つは、ただ彼ら自身の「恐怖」を、あなたに投影してるだけ。自分の限界っていう物差しで、あなたのやろうとしてることを測ってる。自分ができなかったから、あなたもできるはずがない、って。
あとは…なんていうか、秩序を乱されたくない、みたいな気持ちもあるのかも。あなたが慣れた場所から一歩踏み出すと、ぬるま湯に浸かることを選んだ人たちが、ちょっとザワつく。あなたの勇気が、彼らが挑戦しなかった全てを思い出させるから。だから、疑問を投げかけてくる。あなたが間違ってるからじゃなくて、あなたの存在が彼らを不安にさせるから。
でも、一番厄介なのは…その疑いの声が、自分の中から聞こえ始めること。「もしかしたら、彼らが正しいのかも」「自分にはまだ無理なんじゃないか」って。
外からの疑いも、内からの疑いも、それは「やめろ」のサインじゃない。そうじゃなくて、あなたがそれを「どれだけ本気でやりたいか」を試す、ただのテストなんだと思う。
じゃあ、どうすればいいのか
具体的にどうするか。まあ、自分用のメモみたいなものだけど。
まず、他人からの承認を求めるのを、やめること。これが一番の罠かもしれない。誰かが認めてくれたら自信が持てる、って思ってるうちは、ずっと他人に振り回される。あなたのビジョンは、あなただけのもの。全員に理解してもらう必要なんて、最初からないんだ。
そういえば、脆弱性の研究で有名なアメリカの研究者、ブレーネー・ブラウンも似たようなことを言ってたな。「思いきって挑戦すれば、批判はつきものだ」って。でも、日本では「和」を大事にするから、目立つと叩かれやすい。空気を読む文化が、時々、個人の挑戦の足かせになることも…あるよね。だからこそ、自分で自分を支える軸が、すごく大事になる。
次に、疑いを「燃料」と捉え直すこと。疑われるってことは、自分が何か新しい、大胆なことに挑戦してる証拠。障害物じゃなくて、自分自身に「できる」って証明するための、ただの課題。
そして、一番大事かもしれないのが、不確かでも「とにかく、動く」こと。自信がつくのを待ってたら、一生何も始まらない。自信は行動することで、後からついてくるものだから。自転車に乗るのだって、最初はそうだったはず。小さな一歩でいい。その一歩が、次の自信になる。
あと、自分との対話を変えること。「失敗したらどうしよう?」じゃなくて、「うまくいったらどうなるだろう?」って問いかけてみる。「自分はダメだ」って声が聞こえたら、「いや、今学んでる途中だ」って言い聞かせる。脳って、意外と単純だから。信じてるフリして語りかけてると、だんだん本当にそうなってくる。
「外からの疑い」と「内なる疑い」の付き合い方
この二つ、似てるようでちょっと違うから、整理してみる。
| 種類 | 主な原因とか特徴 | どう付き合うか |
|---|---|---|
| 外からの疑い | だいたい、他人の恐れとか嫉妬が原因。こっちじゃコントロール不能なやつ。 | 物理的に距離を置く。それが無理なら、心の中で「これはあなたの課題」って線を引く感じ。まあ、燃料にするのもアリ。 |
| 内なる疑い | 過去の失敗とか、完璧主義が原因だったりする。これは、完全に自分の問題。 | 小さな成功体験を意図的に積む。「できたこと」を客観的に記録する。あとは、自分にかける言葉を意識して変える練習かな…。 |
一人で立つ、ということ
応援してくれる人が誰もいない時期って、絶対にある。拍手もなければ、励ましの言葉もない。
でも、そういう時にこそ、本当の強さが見つかるんだと思う。
これは孤立するって意味じゃない。自立する、ってこと。今日、誰も信じてくれなくても、自分の歩みは無駄じゃないって知っていること。世界はあなたに「信じること」を保証してはくれない。でも、あなたは、あなた自身に「信じてあげる」義務がある。
結局、最後に信じてあげられるのは自分だけなんだな、と。そう思う。
で、あなたの「疑い」はどっち?
あなたの足を引っ張ってるその「疑い」って、外からの声?それとも、自分の中から聞こえる声?
たぶん、どっちもあるんだろうけど。今、どっちが重く感じてるか。それをちょっと考えてみるだけでも、何か変わるかもしれない。それが、最初の一歩なのかも。
