最近、ふと考えたんだけど、もし自分の生活のすべてが、たった一つのものに依存してるとしたら、どうなるんだろうって。
昔読んだ古い記録に、北の果てに住むサーミ族の話があってね。彼らの生活って、文字通りすべてがトナカイを中心に回ってたらしいんだ。
重点一句話
要するに、サーミ族にとってトナカイは単なる家畜じゃなくて、食料であり、衣服であり、道具であり、文化そのものだったってこと。
トナカイがいないと、始まらない生活
彼らの暮らしって、本当にトナカイと一心同体なんだよね。記録によると、一家が生活するには数百頭、多いところだと1000頭以上のトナカイの群れが必要だったらしい。すごい数だよね。
でも、それも当然で。
肉やミルクは、もちろん主食。寒い土地だから、栄養価の高い食べ物は必須だし。燻製にしたり、シチューにしたり。時には生のまま食べることもあったとか…なかなかワイルドだ。
皮はなめして、あの厳しい寒さをしのぐための服や靴になる。正直、現代のハイテク素材でも敵わないんじゃないかな、あの環境では。
あとね、骨とか角も無駄にしない。小さな生活用品とか、ナイフの柄とか、そういうものに加工してたんだって。本当に、トナカイのすべてを使い切る感じ。サステナブルっていう言葉が生まれるずっと前から、彼らはそれを実践してたんだな。
トナカイと引き換えに手に入れるもの
もちろん、全部を自給自足できるわけじゃない。トナカイやその製品を売って、自分たちでは作れないものを手に入れてた。
古い記録だと、年間6万頭以上のトナカイが売られて、南のスウェーデンとかドイツなんかに運ばれたって書いてある。肉が高く評価されてたんだね。
そのお金で何を買うかっていうと、これがまたシンプルで。
| トナカイから得るもの | 外から買うもの |
|---|---|
| 食料(肉、ミルク)。これが基本中の基本。 | 塩。肉を食べるから、絶対必要だよね。 |
| 衣服と靴。あの極寒の地じゃ、これが命綱。 | コーヒーとタバコ。ちょっとした嗜好品かな。 |
| 道具類。骨や角から作るナイフの柄とか。 | 小麦粉。自分たちでは作れないパンとかケーキのため。 |
| 住む場所(テントの材料とか)。まあ、移動するけど。 | あとは…まあ、お酒(ブランデー)とか。飲み過ぎちゃう人もいたらしいけど。 |
この表見ると、彼らの生活の核心がどこにあるか、よくわかる気がする。生きるための必需品はトナカイから。そして、暮らしに少しだけ彩りを加えるものを、外から手に入れる。そういうバランスだったんだろうな。
近代化との奇妙な距離感
ここが一番、考えさせられるところなんだけど。当時のスウェーデン政府は、サーミ族をある意味で「特別扱い」してたみたい。
広大な土地を自由に使えて、税金も兵役も免除。彼らの生活スタイルが、他の目的には使えない土地を有効活用してるって、政府も理解してたから。これだけ聞くと、すごく手厚く保護されてるように聞こえる。
でもね、同時に「近代化」させようっていう動きもあって。特に教育。これがなかなか複雑で。
政府が任命した教師が、彼らのキャンプ地を一緒に移動しながら、サーミ語とスウェーデン語、あとはトナカイの科学的な飼育法とか衛生について教えたらしいんだ。
当時の記録を書いた人は、サーミの子供たちがすごく優秀で、同じ年齢のスウェーデンの子供より成績が良いこともしばしばだった、って書いてる。でも、13歳くらいになると、ぱったりと知的な発達が止まって、それ以上は進まなくなる…なんて、かなり偏見に満ちた書き方もしてるんだよね。
正直、これは当時の西洋人の見方でしかないと思う。彼らにとっての「学び」と、サーミ族にとっての「生きる知恵」は、全く別物だったんじゃないかな。13歳って、まさに遊牧生活の中で一人前の仕事を覚え始める大事な時期だろうし。
これって、少し北海道のアイヌの歴史と重なる部分があるかもしれないね。近代化の波が、独自の文化を持つ人々にどう影響したかっていう点で。良かれと思ってやったことが、結果的に彼らの文化を揺るがすことにもなりかねない。本当に難しい問題だ。
厳しい自然と、常に隣り合わせの危機
忘ちゃいけないのが、彼らの生活がいかに過酷かってこと。特に冬。トナカイが生きていくためには、コケを食べなきゃいけないから、ほぼ毎日キャンプ地を移動し続けた。
マイナス何十度にもなるような極寒の中を、延々と移動する生活。…想像するだけで、気が遠くなる。
トナカイの数が減ることは、そのままサーミ族の人口減少に直結してた。牧草地が見つからなくて、トナカイが何千頭も死んでしまって、多くのサーミの人々も亡くなった…なんて悲しい時期もあったらしい。
彼らの忍耐強さと陽気さは、驚くほどだったって記録にはあるけど…その裏には、常に「消滅」の危機があったわけだ。
結局のところ、彼らの生活は、トナカイという一つの存在に、良くも悪くも完全に依存してた。その絆は、僕らが想像するよりもずっと強くて、そして脆いものだったのかもしれない。
もし自分の生活のすべてが、一つのもの…例えば、給料をくれる会社とか、インターネットとか…に依存してるとしたら、どんな気持ちになるだろう?
便利だけど、同時にすごく怖いことなのかもな、なんて。そんなことを、この古い話を読みながら考えてたんだ。
